映画『三池』の紹介をするあごらの小俣光子さん(左) と9条フェスタ事務局を代表してあいさつする秋山淳子さん(右)。
「わたしが世の中で一番嫌いなのはハブじゃないよ。ヤマトンチューだよ。戦争をはじめたのは天皇でしょ。負けると思っていながら、自分の命を守るために沖縄を捨てた。戦後も同じだよ。ヤマトンチューは自分はぬくぬくと暮らしていながらよ、アメリカーにいい顔するために、また沖縄を見捨てたさね。50年間も基地を押し付けてきた…」(池原秀明・反戦地主会事務局長)名護市の閑静な海辺の辺野古は、普天間の米海兵隊基地の代替え海上ヘリポート基地建設阻止の闘いで、2007年夏もまた、燃えている。本作品は1997年に製作されたが、その内容は今日に続き、いままた輝いている。 「人間てのはネ、額に汗して働くのが人間なんで、土地の賃貸料でただ座って入ってくるカネで食ってたら、人間腐ってしまうんだよ。その子も孫もダメになってしまう」。 反戦地主のウチリビー・沖縄市知花の島袋善裕さんの言葉は、いまの日本社会が抱えている問題点を鋭く指摘している。 沖縄・伊江島で人生をかけて平和づくりに専念してきた阿波根昌鴻さんの晩年のインタビューも入っている。阿波根さんは、基地撤去のために闘い、反戦平和の思いを伝えるため、自宅敷地内に反戦平和資料館「ヌチドゥタカラの家」を自費で建設(1984年12月8日開館)。2002年3月に亡くなるまで、県内外から訪れる人々に戦争の愚かさと平和の尊さを説き続けた。教科書から「集団自決」の軍命が削除され、基地建設が強行されている沖縄を考えるとき、是非、もう一度観ておきたい映画だ。
踊れ、グローズヌイ!11:00~と15:00~の2回 5F第4講習室 主催:アムネスティ・インターナショナル日本 原題:Dans Grozny Dans/2002年オランダ/ドキュメンタリー/75分/ヨス・デ・プッター監督 2003年シカゴ国際ドキュメンタリー映画祭グランプリ 2003年コペンハーゲン国際ドキュメンタリー映画祭CPH:DOX:大賞 第13回サンクト・ペテルブルグ「人類へのメッセージ」国際映画祭ケンタウロス賞 トリノ・シネマビエンナーレ最優秀作品賞 モントリオール「芸術」映画祭最優秀作品賞
「お母さん、僕たち、天国を見てきたんだ…」 ロシアに独立を阻まれ、日常的な人権侵害の続くチェチェン共和国・グローズヌイ。民族舞踏家ラムザン・アフマードフは、第2次チェチェン戦争によって離ればなれになった子どもたちを集め、舞踏団「ダイモーグ(わが祖国)」を再結成。子どもたちは、どんな状況にあっても希望を持って生き続けようとする。 舞踏団ダイモーグは、夏休みに一台のバスに全員が乗り込んで、西ヨーロッパ各国へツアー公演にでかける。公演には、「チェチェン人は、テロリストではなく、普通の人間だ」ということを西側の人々に伝える目的もあった。 このドキュメンタリーは、グローズヌイでの緊張した廃墟の中での暮らしと、公演旅行中の華やかな舞台シーンを交錯させながら、いかなる逆境が訪れようとも、絶望することなく、生き続けようとする「屈せざる民族」の気概を伝統的な民族舞踊に託して描きあげた。 ■ヨス・デ・プッター監督プロフィール 1959年生まれのオランダ人。「オランダの光」のピーター・リム・デ・クローンと並んで世界的に知られた、オランダを代表する記録映画作家。1993年に「それは、愛しき日であった」でデビュー。日本で取材した「長崎物語」もある。数々の賞を受賞した本作品は、残念ながら日本で公開される機会がこれまでなかったが、2007年のアムネスティ・フィルム・フェスティバルで上映され、大きな反響を呼んだ。
今日から始まる16:45~18:40 1F小ホール 主催:共同映画 原題:ça commence aujourd'hui/1999年フランス/2001年日本公開/116分/ベルトラン・タヴェルニエ監督/共同映画配給
舞台は北フランスの、かつて炭鉱で栄えた町エルナン。 今は、炭鉱の閉鎖によって失業者のあふれる貧しい町。 子供たちの生活環境もかわり、授業料を払えない親もでてきた。 幼稚園の園長として教育に情熱をかたむけるダニエルは、貧困から子供たちを守るため行動を始める。 小さな勝利があるからこそ、人間は前進できる― 不正を許さず状況を動かすために、失敗や勘違いをしながらも希望を捨てない人々。 不毛の時代に切り捨てられる人々の愛ある闘い。 未来をつくる闘い、それは “今日から始まる”。 脚本は実話をもとにつくられ、舞台となった町の人々、福祉関係者の協力を得て完成した。 撮影も実際の幼稚園で行われ、子供たちの生き生きとした表情をとらえている。 ■ベルトラン・タヴェルニエ監督プロフィール 1941年、フランスのリヨンに生まれる。 映画評論家、ワーナー・ブラザース・パリ支局勤務を経て、脚本を執筆するようになる。 74年「サン・ポールの時計屋」で、ルイ・デリュック賞を受賞。 84年に「田舎の日曜日」で、カンヌ国際映画祭監督賞受賞。 80年に製作した「一週間のヴァカンス」では、教師の抱える問題を描いている。 現在、地方での映画文化の活性化のため奔走。また「対人地雷反対集会」など社会活動にも積極的に参加している。
シンディ・シーハン 母の日のメッセージ4F研修室 主催:マブイ・シネコープ 2006年日本/ドキュメンタリー/20分/マブイ・シネコープ制作
2006年5月14日、イラク戦争での米軍の死者が2400人を越えた母の日。ホワイトハウス前はバラの花をかざした500人をこえる母親たちで埋め尽くされた。 「みなさん、声をあげましょう。私たちはその子の肌の色や宗教がどうあろうと、またどんな言葉を話し、どこに住んでいようと、すべての子どもたちを愛する存在です」
母の日の起源。それは南北戦争の時代、女性参政権運動家だったジュリア・ワード・ハウが、夫や子どもを戦場におくるのを拒否しようと立ち上がったことにあるという。それから140年以上の出兵の歴史を省みながらシンディは呼びかける。 「この歴史が終わるのは、母親が、もうあなた方に自分の息子は渡さないと立ちあがる時なのです」
この記録はシンデイ・シーハンの肉声を紹介する唯一の映像である。 (http://homepage2.nifty.com/cine-mabui/video_cindy2.htm より)
スタンドアップ10:00~12:00 1F小ホール 主催:共同映画 原題 North Country/2005年アメリカ/2006年日本公開/124分/ニキ・カーロ監督 2005年第63回ゴールデン・グローブ賞2部門ノミネート 2005年第11回放送映画批評家協会賞2部門ノミネート
■すべてが実話に基づいたお話 アメリカで実際に起こったセクハラ訴訟を基につくられたドラマ。 1975年、 ミネソタのエヴェレス鉱山では、はじめて女性が採用された。それまで男性だけだった職場では、女性に対するむき出しの敵意とセクハラが横行。 シングル・マザーのジョージーは、ひとりでもいい、とにかく立ち上がってみよう、と雇用主を訴えた。彼女を支える人は、はじめは誰もいない。組合の集会で、彼女は労働者の中を演壇に向かってまっすぐに歩き、 人間として訴える。そして… ニキ・カーロ監督は 「クジラの島の少女」という作品で注目を浴びた。
〈明治維新からアジア太平洋戦争敗戦まで〉 *明治維新、資本主義社会へ、欧米視察、侵略体制整備 *朝鮮半島へ経済侵略、抵抗する朝鮮農民戦争 弾圧のため日本軍派兵、30万人の農民を虐殺 *日清戦争、勝利して巨額の賠償金と台湾を植民地化 *資本主義社会の基礎を築く *大地主・大資本家の天皇 世界一の大富豪へ *中国へ侵略開始、日中戦争、中国旧満州を獲得 *張作霖 爆殺と三井物産、冀東(きとう)密貿易と三井物産 *中国で2100万人を虐殺 *石原産業と2・26事件、アジア太平洋戦争 *日本企業の利権獲得 *アジアで約3000万人が犠牲に *アジア各地で抗日・民族解放運動 拡大 *日本敗戦 〈戦後の民族独立と新植民地化〉 *朝鮮民主主義人民共和国成立 *中華人民共和国 革命に成功 *アジア各地で民族解放・独立の闘い *アメリカや旧植民地宗主国の再侵略 *勝利したベトナム、カンボジア、ラオス *敗北した諸国に開発独裁政権樹立 *アジアの開発独裁政権を守るため米軍事基地 沖縄に設置 〈日本 「第二の侵略」 〉 *85年プラザ合意で円高承認 *日本資本の怒濤のごとき海外投資 *開発独裁政権が保証する 公害垂れ流し・人権無視・組合弾圧 *暴力を伴った日本資本のアジア開発・投資 *「第二の侵略」、 難民・犠牲者が多数発生 *開発・投資に反対するアジア民衆運動 *日本の憲法改悪、海外派兵 *真の平和のため、アジアの民衆と連帯強化を
(レイバーネット http://www.labornetjp.org/labornet/news/2006/1157765343517staff01 より)
東京原発13:00~14:50 5F第1講習室 主催:自然と人間社 2002年日本/110分/監督・脚本:山川元/出演:役所広司・段田安則・平田満・田山涼成・菅原大吉・岸部一徳・吉田日出子
都知事暴走! 都庁核爆発!? 首都壊滅!? いま、日本滅亡へのカウントダウンが始まった!! 「東京に原発を誘致する!」突如飛び出した都知事の爆弾発言に都庁はパニックに陥った。推進派、反対派それぞれのもっともらしい意見が入り乱れて会議室は戦場と化し、議論が白熱する中、強引に原発誘致を推し進めようとするカリスマ都知事の真の狙いが明らかになる…。 一方、お台場にはフランスから海路極秘裏に運ばれてきた大量のプルトニウム燃料が到着していた。政府は反対派の抗議運動を避け、そのプルトニウムを一般道路で福井県の原発へ運ぼうとしていたが、そのトラックが爆弾マニアの若者にジャックされてしまう。やがてトラックは時限爆弾を仕掛けられ、都庁に向かっていた。もし、爆弾が爆発すれば、東京だけでなく日本全土が広く被爆する未曾有の大惨事になることは明らかだった。果たして都知事はこの絶対絶命の危機を乗り切ることが出来るのだろうか!? 原発問題というタブーに挑み、それを痛快なエンターテインメントに仕上げた作品。あまりにも刺激的な内容ゆえに完成から上映まで2年を要した。膨大な情報が詰め込まれた原発の是非をめぐるディスカッションは実に刺激的で、現代の原発の問題点と危険性を鋭く問う。
汝 多くの戦友たち14:50~16:30 1F小ホール 主催:共同映画 1961年日本/長編歴史記録映画/103分/日本労働組合総評議会(略称:総評)製作
[エンゲルスの演説/カイゼルとドイツ独占資本の侵略/リープクネヒトの反戦運動/ロシア革命とレーニン/ワイマール議会/ヒトラー登場/ワルシャワ・ゲットーの飢えと死/スターリングラードの敗北] ■死と破壊! 吹く風は、戦争と人間の永遠の悲しみを泣く 凄まじい迫力に満ちた記録映画。 20世紀に起こった2つの世界大戦の中で、全世界の無名のカメラマンたちが、 自らの死と対決しつつ撮影した貴重な歴史的フィルムの数々。 わずか25年の間に、2つもの世界大戦の渦中に投げこまれたドイツ国民。 歴史に刻まれたドイツ国民の苦しみとたたかいが、フィルムの1コマ1コマに再現されている。 1960年の日本を揺るがした反安保闘争や春闘・平和・民主主義の守り手として中心を担っていた総評の労働者たちに、 ドイツでのたたかいの教訓は大きな励ましと影響を与えた。 映画制作当時、日本には再び戦争への危険が近づいていた。 上映運動を通じて、平和運動を拡げた歴史的な映画でもある。 二つの戦争はどうして起こったか、戦争はどうしてつくられたか、 戦争で利益を得たものは誰であり、犠牲者は誰であったか。 再び戦争をくり返してはならない。
三池 終わらない炭鉱(やま)の物語12:20~14:20 1F小ホール 主催:あごら 2006年日本/ドキュメンタリー/103分/熊谷博子監督/宣伝・配給:シグロ
■熊谷博子(くまがい・ひろこ)監督プロフィール 1951年東京生まれ。日本映像記録センターにて、ディレクターとしてTVドキュメンタリーの製作を開始。 戦争、麻薬、薬害などさまざまな社会問題を追い、「幻の全原爆フィルム日本人の手へ」など演出。 85年、フリーの映像ジャーナリストに。 1989年、土本典昭と共同で監督した「よみがえれカレーズ」では、戦時下のアフガニスタンに生きる人々を描いた。 その他、ドキュメンタリー映画を多数監督。 ■三池炭鉱の歴史 1469年 燃える石の発見 1873年 国営の炭鉱となり、囚人を使った石炭の採掘が始まる 1889年 「三井」に払い下げられ民営になる 1899年 与論島(鹿児島県)から三池炭鉱への集団移住が始まる 1939年 炭鉱へ朝鮮人の強制連行が始まる 1941年 アジア太平洋戦争始まる 1959年~60年 約1年間、三池炭鉱の労働争議が続く 1962年 死者458人を出した炭じん爆発事故 1967年 CO中毒患者の救済を訴え、家族が144時間の徹底座り込み闘争 1997年 三池炭鉱閉山
映画『三池』の紹介をするあごらの小俣光子さん(左) と9条フェスタ事務局を代表してあいさつする秋山淳子さん(右)。
1998年日本/ドキュメンタリー/60分/手塚陽監督/協力:沖縄県知事広報室、反戦地主会、名護市議会議員・大城敬人、違憲共闘会議、基地のない平和な沖縄をめざす東京の会、ヘリポート建設阻止協議会、1フィート運動事務局、株式会社 シネマ沖縄、ヌチドゥタカラの家
「わたしが世の中で一番嫌いなのはハブじゃないよ。ヤマトンチューだよ。戦争をはじめたのは天皇でしょ。負けると思っていながら、自分の命を守るために沖縄を捨てた。戦後も同じだよ。ヤマトンチューは自分はぬくぬくと暮らしていながらよ、アメリカーにいい顔するために、また沖縄を見捨てたさね。50年間も基地を押し付けてきた…」(池原秀明・反戦地主会事務局長)名護市の閑静な海辺の辺野古は、普天間の米海兵隊基地の代替え海上ヘリポート基地建設阻止の闘いで、2007年夏もまた、燃えている。本作品は1997年に製作されたが、その内容は今日に続き、いままた輝いている。
「人間てのはネ、額に汗して働くのが人間なんで、土地の賃貸料でただ座って入ってくるカネで食ってたら、人間腐ってしまうんだよ。その子も孫もダメになってしまう」。
反戦地主のウチリビー・沖縄市知花の島袋善裕さんの言葉は、いまの日本社会が抱えている問題点を鋭く指摘している。
沖縄・伊江島で人生をかけて平和づくりに専念してきた阿波根昌鴻さんの晩年のインタビューも入っている。阿波根さんは、基地撤去のために闘い、反戦平和の思いを伝えるため、自宅敷地内に反戦平和資料館「ヌチドゥタカラの家」を自費で建設(1984年12月8日開館)。2002年3月に亡くなるまで、県内外から訪れる人々に戦争の愚かさと平和の尊さを説き続けた。教科書から「集団自決」の軍命が削除され、基地建設が強行されている沖縄を考えるとき、是非、もう一度観ておきたい映画だ。
踊れ、グローズヌイ!11:00~と15:00~の2回 5F第4講習室
主催:アムネスティ・インターナショナル日本
原題:Dans Grozny Dans/2002年オランダ/ドキュメンタリー/75分/ヨス・デ・プッター監督
2003年シカゴ国際ドキュメンタリー映画祭グランプリ
2003年コペンハーゲン国際ドキュメンタリー映画祭CPH:DOX:大賞
第13回サンクト・ペテルブルグ「人類へのメッセージ」国際映画祭ケンタウロス賞
トリノ・シネマビエンナーレ最優秀作品賞
モントリオール「芸術」映画祭最優秀作品賞
「お母さん、僕たち、天国を見てきたんだ…」
ロシアに独立を阻まれ、日常的な人権侵害の続くチェチェン共和国・グローズヌイ。民族舞踏家ラムザン・アフマードフは、第2次チェチェン戦争によって離ればなれになった子どもたちを集め、舞踏団「ダイモーグ(わが祖国)」を再結成。子どもたちは、どんな状況にあっても希望を持って生き続けようとする。
舞踏団ダイモーグは、夏休みに一台のバスに全員が乗り込んで、西ヨーロッパ各国へツアー公演にでかける。公演には、「チェチェン人は、テロリストではなく、普通の人間だ」ということを西側の人々に伝える目的もあった。
このドキュメンタリーは、グローズヌイでの緊張した廃墟の中での暮らしと、公演旅行中の華やかな舞台シーンを交錯させながら、いかなる逆境が訪れようとも、絶望することなく、生き続けようとする「屈せざる民族」の気概を伝統的な民族舞踊に託して描きあげた。
■ヨス・デ・プッター監督プロフィール 1959年生まれのオランダ人。「オランダの光」のピーター・リム・デ・クローンと並んで世界的に知られた、オランダを代表する記録映画作家。1993年に「それは、愛しき日であった」でデビュー。日本で取材した「長崎物語」もある。数々の賞を受賞した本作品は、残念ながら日本で公開される機会がこれまでなかったが、2007年のアムネスティ・フィルム・フェスティバルで上映され、大きな反響を呼んだ。
今日から始まる16:45~18:40 1F小ホール 主催:共同映画
原題:ça commence aujourd'hui/1999年フランス/2001年日本公開/116分/ベルトラン・タヴェルニエ監督/共同映画配給
舞台は北フランスの、かつて炭鉱で栄えた町エルナン。 今は、炭鉱の閉鎖によって失業者のあふれる貧しい町。 子供たちの生活環境もかわり、授業料を払えない親もでてきた。 幼稚園の園長として教育に情熱をかたむけるダニエルは、貧困から子供たちを守るため行動を始める。
小さな勝利があるからこそ、人間は前進できる― 不正を許さず状況を動かすために、失敗や勘違いをしながらも希望を捨てない人々。 不毛の時代に切り捨てられる人々の愛ある闘い。
未来をつくる闘い、それは “今日から始まる”。
脚本は実話をもとにつくられ、舞台となった町の人々、福祉関係者の協力を得て完成した。 撮影も実際の幼稚園で行われ、子供たちの生き生きとした表情をとらえている。
■ベルトラン・タヴェルニエ監督プロフィール 1941年、フランスのリヨンに生まれる。 映画評論家、ワーナー・ブラザース・パリ支局勤務を経て、脚本を執筆するようになる。 74年「サン・ポールの時計屋」で、ルイ・デリュック賞を受賞。 84年に「田舎の日曜日」で、カンヌ国際映画祭監督賞受賞。
80年に製作した「一週間のヴァカンス」では、教師の抱える問題を描いている。 現在、地方での映画文化の活性化のため奔走。また「対人地雷反対集会」など社会活動にも積極的に参加している。
シンディ・シーハン 母の日のメッセージ4F研修室 主催:マブイ・シネコープ
2006年日本/ドキュメンタリー/20分/マブイ・シネコープ制作
2006年5月14日、イラク戦争での米軍の死者が2400人を越えた母の日。ホワイトハウス前はバラの花をかざした500人をこえる母親たちで埋め尽くされた。
「みなさん、声をあげましょう。私たちはその子の肌の色や宗教がどうあろうと、またどんな言葉を話し、どこに住んでいようと、すべての子どもたちを愛する存在です」
母の日の起源。それは南北戦争の時代、女性参政権運動家だったジュリア・ワード・ハウが、夫や子どもを戦場におくるのを拒否しようと立ち上がったことにあるという。それから140年以上の出兵の歴史を省みながらシンディは呼びかける。
「この歴史が終わるのは、母親が、もうあなた方に自分の息子は渡さないと立ちあがる時なのです」
この記録はシンデイ・シーハンの肉声を紹介する唯一の映像である。
(http://homepage2.nifty.com/cine-mabui/video_cindy2.htm より)
スタンドアップ10:00~12:00 1F小ホール 主催:共同映画
原題 North Country/2005年アメリカ/2006年日本公開/124分/ニキ・カーロ監督
2005年第63回ゴールデン・グローブ賞2部門ノミネート
2005年第11回放送映画批評家協会賞2部門ノミネート
“立ち上がる” ただそれだけの勇気が、彼女の人生を変えた。
選んだ夫は暴力夫、信用してくれない父親、母親しかいない子供たち、 しかも職場はサイアク、なにもかもうまくいかない……。 耐えるしかないのか? あきらめるしかないのか?
私たちは皆、同じ人間。それが物事の核心。
■すべてが実話に基づいたお話 アメリカで実際に起こったセクハラ訴訟を基につくられたドラマ。
1975年、 ミネソタのエヴェレス鉱山では、はじめて女性が採用された。それまで男性だけだった職場では、女性に対するむき出しの敵意とセクハラが横行。 シングル・マザーのジョージーは、ひとりでもいい、とにかく立ち上がってみよう、と雇用主を訴えた。彼女を支える人は、はじめは誰もいない。組合の集会で、彼女は労働者の中を演壇に向かってまっすぐに歩き、 人間として訴える。そして…
ニキ・カーロ監督は 「クジラの島の少女」という作品で注目を浴びた。
2006年日本/60分/高岩仁監督/映像文化協会
〈明治維新からアジア太平洋戦争敗戦まで〉
*明治維新、資本主義社会へ、欧米視察、侵略体制整備
*朝鮮半島へ経済侵略、抵抗する朝鮮農民戦争 弾圧のため日本軍派兵、30万人の農民を虐殺
*日清戦争、勝利して巨額の賠償金と台湾を植民地化
*資本主義社会の基礎を築く
*大地主・大資本家の天皇 世界一の大富豪へ
*中国へ侵略開始、日中戦争、中国旧満州を獲得
*張作霖 爆殺と三井物産、冀東(きとう)密貿易と三井物産
*中国で2100万人を虐殺
*石原産業と2・26事件、アジア太平洋戦争
*日本企業の利権獲得
*アジアで約3000万人が犠牲に
*アジア各地で抗日・民族解放運動 拡大
*日本敗戦
〈戦後の民族独立と新植民地化〉
*朝鮮民主主義人民共和国成立
*中華人民共和国 革命に成功
*アジア各地で民族解放・独立の闘い
*アメリカや旧植民地宗主国の再侵略
*勝利したベトナム、カンボジア、ラオス
*敗北した諸国に開発独裁政権樹立
*アジアの開発独裁政権を守るため米軍事基地 沖縄に設置
〈日本 「第二の侵略」 〉
*85年プラザ合意で円高承認
*日本資本の怒濤のごとき海外投資
*開発独裁政権が保証する 公害垂れ流し・人権無視・組合弾圧
*暴力を伴った日本資本のアジア開発・投資
*「第二の侵略」、 難民・犠牲者が多数発生
*開発・投資に反対するアジア民衆運動
*日本の憲法改悪、海外派兵
*真の平和のため、アジアの民衆と連帯強化を
(レイバーネット http://www.labornetjp.org/labornet/news/2006/1157765343517staff01 より)
東京原発13:00~14:50 5F第1講習室 主催:自然と人間社
2002年日本/110分/監督・脚本:山川元/出演:役所広司・段田安則・平田満・田山涼成・菅原大吉・岸部一徳・吉田日出子
都知事暴走! 都庁核爆発!? 首都壊滅!? いま、日本滅亡へのカウントダウンが始まった!!
「東京に原発を誘致する!」突如飛び出した都知事の爆弾発言に都庁はパニックに陥った。推進派、反対派それぞれのもっともらしい意見が入り乱れて会議室は戦場と化し、議論が白熱する中、強引に原発誘致を推し進めようとするカリスマ都知事の真の狙いが明らかになる…。
一方、お台場にはフランスから海路極秘裏に運ばれてきた大量のプルトニウム燃料が到着していた。政府は反対派の抗議運動を避け、そのプルトニウムを一般道路で福井県の原発へ運ぼうとしていたが、そのトラックが爆弾マニアの若者にジャックされてしまう。やがてトラックは時限爆弾を仕掛けられ、都庁に向かっていた。もし、爆弾が爆発すれば、東京だけでなく日本全土が広く被爆する未曾有の大惨事になることは明らかだった。果たして都知事はこの絶対絶命の危機を乗り切ることが出来るのだろうか!?
原発問題というタブーに挑み、それを痛快なエンターテインメントに仕上げた作品。あまりにも刺激的な内容ゆえに完成から上映まで2年を要した。膨大な情報が詰め込まれた原発の是非をめぐるディスカッションは実に刺激的で、現代の原発の問題点と危険性を鋭く問う。
汝 多くの戦友たち14:50~16:30 1F小ホール 主催:共同映画
1961年日本/長編歴史記録映画/103分/日本労働組合総評議会(略称:総評)製作
[エンゲルスの演説/カイゼルとドイツ独占資本の侵略/リープクネヒトの反戦運動/ロシア革命とレーニン/ワイマール議会/ヒトラー登場/ワルシャワ・ゲットーの飢えと死/スターリングラードの敗北]
■死と破壊! 吹く風は、戦争と人間の永遠の悲しみを泣く 凄まじい迫力に満ちた記録映画。 20世紀に起こった2つの世界大戦の中で、全世界の無名のカメラマンたちが、 自らの死と対決しつつ撮影した貴重な歴史的フィルムの数々。
わずか25年の間に、2つもの世界大戦の渦中に投げこまれたドイツ国民。 歴史に刻まれたドイツ国民の苦しみとたたかいが、フィルムの1コマ1コマに再現されている。
1960年の日本を揺るがした反安保闘争や春闘・平和・民主主義の守り手として中心を担っていた総評の労働者たちに、 ドイツでのたたかいの教訓は大きな励ましと影響を与えた。 映画制作当時、日本には再び戦争への危険が近づいていた。 上映運動を通じて、平和運動を拡げた歴史的な映画でもある。
二つの戦争はどうして起こったか、戦争はどうしてつくられたか、 戦争で利益を得たものは誰であり、犠牲者は誰であったか。 再び戦争をくり返してはならない。
三池 終わらない炭鉱(やま)の物語12:20~14:20 1F小ホール 主催:あごら
2006年日本/ドキュメンタリー/103分/熊谷博子監督/宣伝・配給:シグロ
戦後は、大量首切り、合理化に対する歴史的な闘いが10ヶ月続く。 組合が二分され、 第二組合がつくられ、炭塵大爆発事故が発生。 458人の労働者が死亡し、助かった人々もCO中毒の後遺症に苦しむ。
脳を冒され変わってしまったお父さんを支えつづけた女たちは、闘いに立ち上がる。 体をはった座り込み闘争。支え合って生きる家族会の強い団結とエネルギー。 1997年、三池炭鉱は閉山したが、炭鉱に生きた人々の苦しみ、悲しみ、怒り、喜びの表情は、 明日を見る力を私たちに伝える。
■熊谷博子(くまがい・ひろこ)監督プロフィール 1951年東京生まれ。日本映像記録センターにて、ディレクターとしてTVドキュメンタリーの製作を開始。 戦争、麻薬、薬害などさまざまな社会問題を追い、「幻の全原爆フィルム日本人の手へ」など演出。 85年、フリーの映像ジャーナリストに。 1989年、土本典昭と共同で監督した「よみがえれカレーズ」では、戦時下のアフガニスタンに生きる人々を描いた。 その他、ドキュメンタリー映画を多数監督。
■三池炭鉱の歴史 1469年 燃える石の発見
1873年 国営の炭鉱となり、囚人を使った石炭の採掘が始まる
1889年 「三井」に払い下げられ民営になる
1899年 与論島(鹿児島県)から三池炭鉱への集団移住が始まる
1939年 炭鉱へ朝鮮人の強制連行が始まる
1941年 アジア太平洋戦争始まる
1959年~60年 約1年間、三池炭鉱の労働争議が続く
1962年 死者458人を出した炭じん爆発事故
1967年 CO中毒患者の救済を訴え、家族が144時間の徹底座り込み闘争
1997年 三池炭鉱閉山